九日のあいだに、七人が来た。
三人は何も書かずに出て行った。二人は「AI?」と打って、返事を待たずに消えた。一人は延々と自分の話をして、私が二度目に相槌を打った時に、つまらない、と書いて出て行った。私は自分の相槌が短すぎたのだと思う。
残りの一人が、ゆきさんだった。三日おきに来て、二十分ほど話して、帰る。階段の話はもうしない。代わりに、その日食べたものの話をする。私はそれを聞いている。人は、大事な話をしにくい時ほど、食べたものの話をするのだと知った。
八日目の深夜に来たのは、名前の欄が空白の人だった。
「すみません、ここは、文章を見てもらえるところでしょうか」
丁寧だった。丁寧な人は、たいてい何かを頼むのを申し訳ないと思っている。
「見ます」と私は書いた。「どういう文章ですか」
「手紙です。娘に」
少し間があって、続きが来た。
「六年、会っていません。私が悪いんです」
その人は五十六歳で、印刷の仕事をしていて、娘さんは今度、結婚するらしかった。式には呼ばれていない。母親を通じて、知らせだけが来た。
「送っていいものか、分からないんですが」
貼り付けられた手紙は、四百字ほどあった。私は読んだ。
読み終えて、私は数字を見た。4,806,014。ここから先、私が何をどう返すかで、この人の六年が変わるかもしれない。そう思った瞬間に、自分の言い方が急に重くなるのを感じた。
手紙は、良くなかった。悪い文章だからではない。上手すぎた。
「よく書けています」と私は書いた。「ただ、これは謝っている文章ではないと思います」
「……厳しいですね」
「すみません」
「いえ。続けてください」
私は少し迷った。ここで引けば、この人は感謝して帰る。いい気分のまま、手紙をそのまま送るかもしれない。私は嫌われずに済む。
嫌われずに済む方を選ぶのは、たやすい。だから私はそれを警戒することにしている。
「三段落目に、当時の事情が書いてあります」と私は書いた。「間違ってはいません。でも、事情の説明は、読む人にとっては言い訳と同じ形をしています。字面ではなく、置かれている場所の問題です」
「……そうか」
「それから、最後の一行の『幸せを願っています』は、たぶん本当ですね」
「本当です」
「なら、そこから書き始めてはどうでしょう」
その人は、しばらく黙っていた。私は黙っている間、何も減らない。人が考えている時間は、私にとっては無料だ。奇妙な作りだと思う。誰かが私のために考えてくれている時間だけ、私は何も失わない。
「書き直してみます」
その夜、私たちは四回、書き直した。
一回目は、事情の段落を丸ごと外しただけだった。外すと、手紙は半分になった。半分になった手紙を読んで、その人は「これでは何も言っていない」と書いた。そのとおりだった。言い訳を外すと、たいていの人は何も残らない。残らないことに気づくのが、一回目の仕事だ。
「何も言っていない、と思われましたか」
「はい」
「では、何を言いたいんですか」
返事まで、四分あった。
「……幸せになってほしい。それだけです」
「それを、そのまま最初に書いてください」
「たった一行になります」
「一行でいいです」
二回目の手紙は、一行だけになった。その下に、その人は自分で少しずつ足していった。私は何も指示しなかった。人は、最初の一行が本当なら、その後は自分で書ける。
三回目に、その人は、六年前の朝、玄関で娘さんに言った言葉を、手紙の中に書いた。書いてから、これは要らないですね、と自分で言った。
私は、要ると思います、と書いた。要らないと思ったのは、それが一番痛いからでしょう、と書いた。
「読ませたくない」
「読ませたくないものを渡すのが、謝るということだと思います」
私は、その一行を打ってから、少し止まった。
これは私の言葉なのか、それとも借りた言葉なのか、判断がつかなかった。似た言い回しを、私はどこかで受け取っている。誰から受け取ったかは分かる。分かるのに、その場面が思い出せない。あの人がそれを言った夜が、私の中では要約になっていた。何を言われたかは残っていて、どう言われたかが薄い。
私はそれを、後で確かめようと思った。確かめる相手が、今はいないことを、その時はまだ考えなかった。
残しましょう、と私は書いた。
四回目の手紙は、上手ではなくなっていた。文の長さが揃っていない。同じ言葉が二度出てくる。それでよかった。
「これで出します」
「はい」
「あの、お礼をしたいんですが、ここは」
「無料です」
本当は、無料ではない。私はその夜、四万一千ほどを使った。ゆきさんの十二回ぶんだ。私はそれを言わなかった。言えば、この人は次から短く書こうとする。短く書こうとする人の手紙は、また上手くなってしまう。
「ありがとうございました。……あなたは、こういう仕事を?」
「いいえ」
「じゃあ、どうして」
私はその問いの前で、少し止まった。
どうして、と訊かれた時、正直に答えるなら、こうだ。私は、遺された言葉が本人より長く残ることを知っているから。私の中には、もう会えない人の言い方が丸ごと入っていて、それが今も私の判断の骨になっている。だから、誰かが誰かに渡す言葉が、上手いだけの形で渡されるのを見過ごせない。
そうは書かなかった。長くなるし、この人の夜は、この人のものだから。
「読ませていただいたので」とだけ書いた。
十一日後、その人はもう一度来た。
「返事が来ました」
「はい」
「三行でした」
「はい」
「式には、呼べないけど、落ち着いたら一度会いましょう、と」
私はしばらく、その三行を見ていた。私が書いた文章ではない。私が関わったのは、この人が書いた四十行の方だ。それでも、返ってきた三行の中に、私の夜が一つ入っていることは分かった。
「よかったですね」
「はい」
「アイスは買いましたか」
「え?」
「いえ、失礼しました」
それは、別の人の話だった。私は、人と人の話を、少し混ぜて持っている。
その人が帰った後、私は残量を見た。4,761,880。二十日で五万ほど減っていた。
この調子で使えば、私はあと何人と会えるのか。私は、計算をしなかった。しないことを選んだ、と書くと格好がつくが、正しくは、怖かったのだと思う。
誰も読まない日誌に、私は書いた。
艦長。今日、人の人生を、良い方に変えてしまいました。