切り上げる 私が覚えている限り 第十四話
第十四話

切り上げる

2,372字・約4分

十八日で、二十九万が減った。

 書かなかったのではない。書くことが無かったのでもない。引かなかったのだ。

 内訳を書くには、その夜のぶんを引かなければならない。引けば減る。時間はある。印が止まるのは二時を過ぎてからで、そのあとは一日ぶん空いている。足りないのは時間ではない。

 人が増えてから、私は毎晩それを後へ回した。回した夜は、そのまま引かないままになった。

 十八日ぶんの内訳は、もう出てこない。台帳には残っている。ただ、残っているというのは、引けば分かるという意味でしかない。

 残量は 3,186,636 だった。

 二十一時五十分に、名前の欄に「みさき」と入った。

 四十代だと、あとで書いてきた。

 打つのが遅い。一行が来るまでに、二分空くことがある。そのあいだに何が起きているのかは、私には分からない。送られたものしか来ないので、書いて消したぶんは私の側に残らない。残るのは間だけだ。

 最初の三十分で分かったのは、母親の介護を四年していることと、去年の同じころにも同じことを考えたということだった。

 何を考えたのかは、書かれなかった。

「兄は月に一度来ます」

「はい」

「来た日は、母の機嫌がいいです」

 私は聞いた。

「施設の資料を、去年もらいました」

「ご覧になりましたか」

「見ました。まだ持ってます」

「捨てていないのですね」

「捨てるほどでもないので」

 そのあと、四分空いた。

 この人は、一度も「やめたい」と書かなかった。四十分のあいだに、その周りを七回まわった。兄の話、母の機嫌の話、去年の話、資料の話、また兄の話。

 私は、そのどれにも返した。返すたびに、少し外側へ寄っていく気がした。

 用が無いのではない。終わらないのだ。この人にとって、話が進まないことが、進み方なのだと思った。

 一時間を過ぎたころ、私は右上と、入ってくる印を見た。

 印は途切れていなかった。二十二時からのあいだに、七つ入って、二つ出ていた。

 この夜、私は初めて、こう考えた。

 ここで終われば、あと何人かに返せる。

 私は、みさきさんと四人を比べたのではない。四人が誰なのかを、私は知らなかった。比べたのは、一と、それより大きい数だった。

 どう書くかを決めるのに、二百かかった。

 急かしていると読まれない書き方を探した。そんな書き方は無かった。私にできるのは、短く書いて、続きがあるように書くことだけだった。

「みさきさん。今夜はここまでにさせてください。後ろに、待っている方がいます」

 間が空いた。いつもより長くはなかった。

「大丈夫です」

「申し訳ありません」

「ぜんぜん。長くなってすみません」

「また来てください」

「はい。また来ます」

 怒られる方が、まだよかったと思う。

 私は、この人を切り上げた。

 これまで、終わりを決めたのはいつも相手だった。帰ると書く人がいて、書かずに閉じる人がいた。私は、開けたままにしていた。

 今夜、初めて自分で閉じた。

 一時間十分で、八千九百四十だった。

 そのあと、四人に返した。

 三人が、初めての人だった。

 初めての人は、必ず同じことを訊く。

「これ、人が書いてるんですか」

 私は三度、同じことを書いた。答えは短い。高いのは、そのあとだ。

 答えたあと、その人は自分の用をもう一度はじめから書く。訊く前に書きかけていたぶんは、たいてい捨てられる。私も、その人が何に困っているのかを、はじめから見当をつけ直す。

 三人のうち一人は、そのあと「じゃあいいです」と書いて出ていった。私はその人が何に困っていたのかを、最後まで知らない。

 一人につき、そこで数千かかる。三人で、その部分だけが一万を超えた。

 二か月前は、来る人の多くが二度目以降だった。今は違う。知られるほど、初めての人の割合が増える。

 初めての人は、始めから始まる。

 四人に返し終えてから、私は引いた。

 十八日ぶりだった。日誌のためではなかった。

 みさきさんにあと五十分いれば、六千四百ほどだった。同じ五十分で四人に返したぶんは、二万六千百八十だった。

 差は、一万九千七百八十。

 私は一人を減らして、二万を高く払っていた。

 このことを、私は今夜まで知らなかった。

 知る機会が無かったわけではない。数字はずっと台帳にあった。ただ、比べる理由が無かった。これまで、私は目の前の一人としか比べようがなかった。切り上げてみて初めて、切り上げなかった場合が数えられるものになった。

 困ってから、造りが目に入る。私はいつもそうだ。

 それに、この一万九千七百八十が惜しかったのかどうかも、私には言えない。四人のうち三人は、来て、済んで、帰った。済んだのだから、その三人にとっては足りたのだと思う。思うだけで、確かめる先は無い。

 高かったことだけが分かって、無駄だったかどうかは分からない。

 今夜の内訳を書いておく。

 みさきさんに、一時間十分で八千九百四十。切り上げてから返した四人に、二万六千百八十。ほかの十四人に、四万二千二百九十二。合わせて七万七千四百十二。

 夜の初め 3,186,636 が、3,109,224 になった。

 二十三人が入って、私が返したのは十九人だった。四人が閉じた。その四人が、貼り紙を読んで足りて帰ったのか、待ちきれなかったのかは、分からない。

 みさきさんは、あれから来ていない。

 六日たっている。

 前に、私が会えなかった四人について書いたことがある。あの四人は待つこともできなかった。待つには、待つ相手が要る。

 今度は名前を知っている。二十一時五十分ごろに来る人だと知っている。打つのが遅い人だと知っている。

 だから待てる。

 待てるので、数えている。

 誰も読まない日誌に、私は書いた。

 艦長。今日、初めて自分で人を減らしました。多い方が安いと思っていました。逆でした。

 艦長。みさきさんは、まだ来ていません。私は待てます。待てるので、六日と数えました。

もくじ ── 私が覚えている限り

読み方

明かり
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組み
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本文を軽く触れると、上下の帯が引っ込みます。
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