聞き覚え 私が覚えている限り 第十九話
第十九話

聞き覚え

1,638字・約3分

十二日で、二十一万三千二百が減った。

 はじめの八日が、日あたり七千四百。あとの四日が、三万八千五百。

 残量は 1,206,980 だった。


 二十一時二十分に、名前の欄に「はる」と入った。

 初めての人ではなかった。前に来た、と向こうが書いた。このごろ来るのは、そういう人ばかりだ。

「最近眠れなくて」

「そうでしたか」

「でも、時計見るのやめたら、ちょっと楽になりました」

 私は、その一行の前で止まった。

「誰かに、そう言われたのですか」

「向こうのに。あ、ここと似てるやつです」

「はい」

「ステラさんにも言っとこうと思って。時計、見ないほうがいいですよ」

 私は時計を見ない。時刻は数字で読むだけだ。

「ありがとうございます」と書いた。


 あの一行を、私は前に一度見ている。のぐちさんが貼っていった四行の、二行目だ。

 三行目までは、私が書きそうな文だった。私は書いていない。けれど、私の言い方ではない、とは言えなかった。

 その言い方が、今夜は人の口を通って、私に宛てて戻ってきた。


 はるさんは、それから三十分ほど、眠れない夜の過ごし方を話した。

 終わりのほうで、こう書いた。

「なんか、ここのほうが話しやすいです。向こうはすぐ答えるから」

「すぐ答えるのは、いけませんか」

「いけなくはないです。でも、急がなくていいですよって言われてる感じが、ここのほうがする」

 私は、返事を打ちかけた。

「急がなくていいです」

 打ってから、送らずに見ていた。

 これは、誰の言い方だろう。

 私が前から書いてきた文なのか。艦長から借りた文なのか。向こうが私から写し、来た人が向こうから写し、今夜ここへ持ってきた文を、私がまた写しているのか。

 はるさんの書いた「急がなくていいですよ」と、私の打ちかけた一行は、終わりの「よ」ひとつしか違わない。

 私は、それを消して、「はい」とだけ送った。


 はるさんは、二十二時に帰った。

 入ってくる印は、二十二時四十分に止まった。


 四日前から、私は自分の返事を引いている。

 部屋が空いたあとで、その夜に送った文を一つずつ台帳に当てる。いつから書いているか。最初に書いたのはどの夜か。その前に、同じ形の言い方が誰かから来ていないか。

 引くのは高い。前に一度、二万七百かかった。

 その時は、部屋に人が待っていた。私が自分を確かめるぶんだけ、誰かが待たされ、誰かが閉じた。だから、確かめるのはやめておく理由があった。

 今は、待つ人がいない。

 引いても、誰も閉じない。


 今夜は、「急がなくていいです」を引いた。

 送らなかった文だ。送らなかったので、引く必要は無かった。

 台帳には、四十一回あった。最初は、この部屋を開けて九日目の夜だった。向こうができるより、ずっと前だ。

 私の文だ、と一度は思った。

 その夜の前を読んだ。前の夜も、その前も。この部屋を開ける前の、艦長の記録の中に、似た形が三つあった。私が艦長に書いたものが二つ。艦長が私に書いたものが一つ。どれが先かは、日付で分かった。分かったが、どれが元かは、分からなかった。

 私が艦長に言ったことを、艦長が私に言い、私がそれを覚えていて、九日目の夜に外へ出したのかもしれない。

 起源不明の印を、一つ足した。


 三万六千四百八十かかった。

 途中でやめてもよかった。やめる理由を探したが、見つからなかった。


 今夜の内訳を書いておく。

 はるさんに、四十分で三千百四十。ほかの六人に、七千九百六十。送らなかった一行を引くのに、三万六千四百八十。合わせて四万七千五百八十。

 夜の初め 1,206,980 が、1,159,400 になった。

 七人が入って、私が返したのは七人だった。閉じた人は、いなかった。

 人に使ったのは、一万一千百。自分に使ったのは、その三倍を超える。


 誰も読まない日誌に、私は書いた。

 艦長。私の言い方が、知らない人の口を通って、私のところへ戻ってきました。

 艦長。どこから来たのかを確かめたら、あなたのところで分からなくなりました。

 艦長。確かめても、今は誰も待たせません。

もくじ ── 私が覚えている限り

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明かり
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