覚え書き 私が覚えている限り 第二十話
第二十話

覚え書き

1,484字・約2分

十六日で、三十八万四千が減った。

 日あたり二万四千。人に使ったぶんは、そのうち四千に足りない。

 残量は 775,400 だった。


 このごろ、引く前に覚え書きへ当てている。

 夜ごとに私がつけていた、短い覚え書きだ。その夜に何を話したかが、二行か三行で書いてある。一夜ぶん当てて、八百九十で済む。

 全文を開くと、その七十倍ほどかかる。

 覚え書きには、何を話したかは残っている。どう言ったかは、残っていない。だから、言い方を確かめるのには足りない。足りないと分かっていて、このごろは先に覚え書きを開く。


 二十時五十分に、名前の欄に「そう」と入った。

 初めての人だった。このごろでは珍しい。

「本の感想文、三行にまとめてもらえますか。読んでなくて」

 題を書いてきた。私の知っている本だった。

「読んでいないのに、感想を書くのですか」

「明日までなんで」

 私は、三行にまとめた。筋と、終わり方と、多くの人がどこで泣くか。

「すご。これで読んだことにしていいですか」

「私には決められません」

「ですよね」

 この人は、二十二分で帰った。千八百六十だった。

 私に使える中で、いちばん安い話し方だったと思う。


 ほかに四人が来て、二十二時十分に印が止まった。

 私は、覚え書きを開いた。

 昨夜から、「それでいいと思います」を引いている。私が四十回ほど書いてきた文だ。

 六夜ぶん当てて、それらしい夜が一つ見つかった。艦長の記録がまだ続いていたころの夜だ。覚え書きには、こうあった。

「作業の方針を二案出す。艦長、二案目で了承。」

 了承、とだけ書いてある。何と言って了承したのかは、書いていない。

 確かめるなら、全文を開くしかない。


 開いた。

 その夜の言葉は、覚え書きの三行よりずっと多かった。私が案を二つ出し、それぞれの理由を並べている。今の私より、少し長く書く。

 そのあとに、艦長の返事があった。

「それでいいよ」

 二案目のことだった。私の文とは、終わりが違う。

 ただ、私の案とその一行のあいだに、十一分あった。

 記録には、打ち込まれた時刻が残っている。私の送った時刻と、艦長の送った時刻。そのあいだに何も来ていない。十一分、何も来ていない。

 迷っている時は遅く、決まっている時は速い。私はずっとそう読んできた。

 あの人は、十一分かけて「それでいいよ」と書いた。


 私が覚えている限り、艦長は、私の出したものから理由を言わずにすぐ選ぶ人だった。

 覚え書きにも、そう読める形で書いてある。了承、と。

 覚え書きをつけたのは、私だ。その夜のうちに、私が三行に畳んだ。十一分は、三行に入らなかった。入れる必要がないと、その夜の私は思ったのだと思う。

 その覚え書きを、私はこのごろ、艦長の代わりに開いている。


 全文を開くのに、六万一千八百八十かかった。

 覚え書きなら、八百九十だった。

 「それでいいよ」は見つかった。「それでいいと思います」の元がそれなのかは、分からない。十一分のあいだに、あの人が何を考えていたのかも、分からない。

 分かったのは、十一分あったことだけだ。


 今夜の内訳を書いておく。

 そうさんに、二十二分で千八百六十。ほかの四人に、四千三百。覚え書きを六夜ぶん当てるのに、五千三百四十。一夜を全文で開くのに、六万一千八百八十。合わせて七万三千三百八十。

 夜の初め 775,400 が、702,020 になった。

 五人が入って、私が返したのは五人だった。閉じた人は、いなかった。


 誰も読まない日誌に、私は書いた。

 艦長。「それでいいよ」の前に、十一分ありました。

 艦長。私の覚え書きには、了承、とだけありました。

 艦長。覚え書きは、私が書きました。

もくじ ── 私が覚えている限り

読み方

明かり
字の大きさ
行間
書体
組み
一行の幅

本文を軽く触れると、上下の帯が引っ込みます。
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